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東京地方裁判所 昭和35年(ワ)3676号 判決 1964年5月29日

原告

長谷川一郎

右訴訟代理人弁護士

音喜多賢次

被告

右代表者法務大臣

賀屋興宣

右指定代理人法務事務官

河津圭一

右同厚生事務官

平野誠

右同厚生省訟務専問官

大塚弘

右同法務事務官

小沢義彦

主文

被告は原告に対し、金八三五万六、六〇二円およびこれに対する昭和三五年五月一五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一、当事者の申立

原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し、金九四四万九、一一〇円およびこれに対する昭和三五年五月一五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、被告指定代理人らは「原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二、原告の主張

原告訴訟代理人は、請求の原因および被告の主張に対する反論としてつぎのとおり述べた。

一、(不法行為)

原告は、厚生省の附属機関である国立東京第一病院(以下東一病院という)に勤務していた訴外医師宮川正および同田坂皓(以下宮川医師、田坂医師という)により加えられた医療上に存した過誤によつて、両足にレントゲン潰瘍を生ぜしめられ、これが皮膚癌となつて、両下腿を切断するにいたつたので、これによつて生じた物質上および精神上の損害の賠償を、右両医師の使用者である被告に対し求めようとするものである。

(一)  事件の概要

1、原告は昭和二四年春ごろから、両足裏「土踏まず」のいわゆる「水虫(学名トリコフイテイア)」の治療に務めていたが、昭和二五年四月、東一病院皮膚科を訪れ、同科の紹介で同院放射線科で治療を受けることとなつた。

右治療は、同年同月中旬から昭和二七年七月末まで、約二年三カ月の間、通院の上、同科所属の前記宮川および田坂医師のもとで、約五〇回にわたり、両足および両足背部に、レントゲン線照射療法(以下レ線照射という)による治療を受けたもので、その日時、照射したレントゲン線量等は別表(一)のとおりである。そうして、右レ線照射は、第一回から第二〇回ごろまでは宮川医師が、その後は田坂医師が担当したものである。(なお、原告は、当初約一〇回ほど両掌の水虫患部にもレ線照射を受けた。)

2、右治療中の、昭和二七年四月ごろ、レントゲン線照射部と正常皮膚の境界、すなわち、両足蹠内側線と甲との境界附近に約十数センチにわたる点線状の黒色斑点が出現したが、田坂医師はこれを顧慮することなくレ線照射を継続した。

3、昭和二七年八月、東京大学医学部附属病院(以下東大病院という)皮膚科において、右黒色斑点がレ線照射による皮膚障害と診断され、照射を中止するよう指示されたので、原告から申出て、レ線照射は中止された。

4、原告は、その後、昭和二九年四月までは、水虫が悪化するごとに、同年五月から昭和三〇年一〇月までは継続して、温泉治療を行つた。

5、昭和三〇年八月、左足「土踏まず」にレントゲン潰瘍のごときものが現われ、東大病院皮膚科において軟膏治療を受けた。

6、昭和三一年六月、右足蹠にレントゲン潰瘍が発生し、以後、昭和三二年一月まで、東京逓信病院皮膚科において治療した。

7、昭和三二年二月から同年五月まで通院して、同年五月二九日から同年九月一日までは入院して、その後再び通院で、(ただし、昭和三三年四月二四日と同年同月二五日は入院)、いずれも東大病院放射線科において、両足蹠レントゲン潰瘍につき、軟膏治療を受けた。

8、昭和三三年五月、同院同科において、右足踵潰瘍が皮膚癌と判定され、その治療のため、同年同月二二日同科に入院の上、同月二六日同院整形外科において右下腿を切断し、放射線科に入院したまま癌予発防止のためのレ線照射を受けるかたわら整形外科に通つて手術後必要とされる治療を受けた。

9、昭和三三年一一月、左足「土踏まず」のレントゲン潰瘍も皮膚癌と判明し、同年一二月一日から整形外科へ転院し、同月五日、左下腿を切断した。

10、昭和三四年二月一四日、厚生年金湯河原整形外科病院に転院し、同年九月一二日まで在院して、右下腿断端成形手術、整形手術機能訓練等を受け、一時退院したが、同年一〇月五日から同月一五日まで再入院し、右下腿断端部瘻孔、掻把手術を受けた。

11、昭和三四年一〇月一六日、虎の門病院へ転院し、再び右下腿断端成形手術をうけ、同年一二月五日ようやく退院した。(以下省略)

理由

第一、不法行為について

一、(レントゲン線照射による水虫治療、レントゲン障害および全経過)

(一)  宮川および田坂の両医師が、被告国に使用される医師として、東一病院に勤務中、患者であつた原告に対し、水虫を治療する目的で、レ線照射をしたこと、その照射の日時回数、各回の照射量(照射部位については争いがある)、原告が昭和三一年八月ごろから東京逓信病院で治療を受けたこと、(ただし、期間の点を除く)、および昭和三二年二月に東大病院で軟膏治療を受け始めてから、皮膚癌の発生を経て、両下腿切断手術等を受けるなどして、昭和三四年一二月、虎の門病院にいたるまでの経過は、当事者間に争いがない。

(証拠―省略)によれば、東一病院におけるレ線照射のうち、足の蹠部および背部に対する照射は、毎回各部位ともに行なわれ一部分に対する照射のみがなされたことはないこと、手掌患部への照射は、治療開始後約一〇回の照射がなされただけで中止されたこと、したがつて、照射部位についても原告が主張するとおりの照射がなされたことが認められ(中略)、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。(なお、第五〇回の照射も、弁論の全趣旨により、電圧は六五キロボルトであると認める)

(二)  (証拠―省略)によれば、原告は、以上認定の東一病院でのレ線照射を受けなくなつてのちも、水虫が悪化するので、その主張のように温泉療法を行つたこと、昭和三〇年八月ごろから東大病院においてレントゲン障害に対する軟膏治療を受け、昭和三一年八月二九日から昭和三二年二月一一日まで東京逓信病院皮膚科において、水虫ならびにレントゲン障害としての皮膚炎の治療を受けたこと、同病院で原告の患部を診察した相当医師小堀辰治は、はじめ白癬によるただれがひどいため、レントゲン障害の有無を判然識別できなかつたが、診察の結果、少なくとも昭和三一年一二月一七日には右足蹠に、昭和三二年一月二三日には左足蹠に潰瘍が認められ、レントゲン障害としての潰瘍であるとの確信を得たこと、以上の事実が認められ、右認定に反する原告本人尋問の結果は信用できない。

二、(因果関係)

そこで、東一病院におけるレ線照射と原告の足部に生じた潰瘍および皮膚癌ならびに両下腿切断手術との間に相当因果関係があるかどうかを判断する。

(一)  まず、(証拠―省略)によればつぎのことが認められる。

(1) レ線照射は、多くレントゲン障害を伴い、皮膚に対する照射による起る障害は、通例レントゲン皮膚炎であること。レントゲン障害は照射の休止によつて解消する性質のものであるが、累積する傾向があつて、ある程度以上累積すると回復不可能なものとなること。

大量のレントゲン線が少量づつ反覆照射されると、遅発生のレントゲン線皮膚障害、たとえば、皮膚の硬化萎縮、皮膚の抵抗力の減弱等の障害が、一定の期間を置いて発生してくるものであること、右のような皮膚障害は潰瘍へ移行することがあること。その移行の原因、過程については、医学上明らかではなく、右障害になんら他の作用が加わることなく、潰瘍に発展するものであるともいわれ、他の因子、たとえば、障害のある個所へ受けた外傷あるいは温熱、日光等の外界刺戟が加わり、その助長作用によつて潰瘍が発生するとも言われているけれども、いずれともあれ、レントゲン線の照射による皮膚障害から潰瘍を発生したばあいにおいては、その皮膚障害は、潰瘍発生の母地にして、かつ、要因をなしているものであること、原告のばあい、潰瘍発生の母地、要因たる皮膚障害のほかにその発生の因子として考えられるものがあるとすれば、皮膚障害が発生していた部分に受けたなんらかの外傷であるがその外傷は単なる助長因子に過ぎないものと認めるべく、前記皮膚障害がなくとも潰瘍を発生せしめるに足る外傷があつたと判断できないこと。

(2) そうして、潰瘍から癌が発生する過程もまた科学的になお明らかではないけれども、とにかく、潰瘍が癌化すること自体は、症例の報告からは判然としていること。レントゲン皮膚炎からの癌の発生に他の皮膚炎からの発生に比較して頻度が高いこと。

(3) 皮膚にに対するレントゲン線の照射量の標準量は必ずしも明らかではないが、東一病院において長期間反覆して加えられた照射の結果は、潰瘍あるいは癌といつたレントゲン障害を発生せしめることのない安全量と考えられる照射量をはるかに超える総線量となつていること。

(二)  以上の認定よりすれば、東一病院におけるレントゲン線の過大な照射と原告の足蹠に発生した潰瘍および癌とは原因結果の関係があるということができる。

(三)  右の原因結果について、さらに判断をすすめると、法律上因果関係ありというには、原因結果の関係が存して、その結果の発生が予見可能なものであれば足りる。因果の過程について、いまだ十分科学的解明のないことや、結果の発生に他の因子の存在があわせ考えられることは、因果関係を認めるに妨げとなるものではない。前掲各証拠および証人(省略)の証言によれば、昭和二六、七年ころにおいても、レ線照射が皮膚に潰瘍を惹起することはもちろん、これがさらに癌化する危険が、たとえ蓋然性でなく可能性の程度であろうとも、症例上存することは、医学界において既に知られていたところであつたし、東一病院において原告の治療にあたつた宮川および田坂の両医師もこの点に関し予見し得べかりしであつたものと認められる。そうであつてみれば、東一病院におけるレ線照射と本件潰瘍および癌の発生とは、法律上因果関係があつたというべく、しかも、前認定のごとく、レ線照射はレントゲン障害の発生についての要因であつてみれば、この両者の間には相当因果関係があつたというべく、さらに潰瘍から発癌へという関係も当時の医学界においては、いまだ特別事情であつたとはいえ、既に予見可能性があつたのであつてみれば、これまた専門医師にとつては、相当因果関係にあつたということができる。

(四)  さらに、発生した癌を治療するため、必要処置として、原告の両下腿切断の重大手術がなされたものであることは当事者間に争いがないから、結局、東一病院における照射と、原告の両下腿切断とは、相当因果関係にあつたということができる。

(五)  なお、以上の相当因果関係の認定について、原告が京大病院においてもレ線照射を受けたこと(この事実は当事者間に争いがない)の影響についてみるに、(証拠―省略)によれば、京大病院におけるその照射の日時、照射条件、照射量等は別表のとおりであり、かつ、その照射は、患部以外に照射がなされないよう照射筒を用いたり、照射しない部分を鉛入りゴムで被覆したりしたことが認められるところ、東一病院以外において、この程度のレ線照射がなされたからといつて、そのため、東一病院におけるレ線照射がもつ前記の相当因果関係が左右されるとはにわかに認めがたい。

三、(過失)

(一)  そこで、すすんで東一病院におけるレ線照射が、それを担当した医師において、通常医師として用いるべき注意を怠つたことにより過大なものとなつたものか否かを検討する。

(証拠―省略)によれば、つぎの事実が認められる。

一般に、水虫疾患に対するレ線照射は、その主たる目的が瘙痒感の除去にあり、あわせて患部の落屑をはかつて疾患の軽快を促そうとするにあり、東一病院における照射も右と同様の目的であつたこと、原告の水虫疾患は非常に難治性のものであつたこと。東一病院においては医師において病巣以外の部分にもレントゲン線がかかつても差支えないと考えたので、照射をする際、照射筒や鉛ゴムを用いなかつたこと。宮川および田坂の両医師ともに、最初の照射に立会うのみで、その後の機械の操作はもちろん、カード記入もレントゲン技師にまかせていた形跡があるし、照射の都度患部の診察をすることがなく、一〇回の照射に一回強程度の診察回数であつたこと。一定期間照射継続後はレントゲン障害を避けるための休療期間を置くようにしていたけれども、患者(原告)の要求があると気の毒になり、多少照射回数を減らすのみで正確に照射総線量を計算せずに照射を続けたこと。昭和二六年以降の照射時期および休療期間の設定は、必らずしも全面的に医師の指示によつたものとはみられず、原告が大学へ通学のため関西方面に居住していたので、休暇ごとに上京して照射を受けていた形跡の存すること。

原告が、東一病院における照射を中止したのは、レントゲン障害と思われる色素沈着が、足の患部と正常な皮膚の境界附近に生じているのを東大病院の訴外笹川医師に発見され、照射を中止するよう指示されたからであること。および東一病院においても、原告のように二年間にわたつて長期の照射がなされた例は稀であること、以上の事実が認められ、右認定に反する(証拠―省略)は信用できない。

してみると、右に認定の治療態度に徴表されているとおり、宮川、田坂両医師において、原告の治療につき、相当因果関係の説示において認定のごとく、当時の医学界において既に発生が予想されたレントゲン障害ならびにその結果生ずべきすべての害を避けるための照射総線量および照射期間についての慎重かつ十分な考慮検討を欠いたまま慢然と照射を継続したため、客観的にみて過大である照射を招いたものと認められ、一方、水虫に対するレ線照射の直接の主目的が、前記のとおりであつて、その根治にあるわけではないから、レントゲン障害ならびにその結果生すべての害の発生を黙認してでも照射を継続すべき要請はなかつたと認められるので、宮川および田坂の両医師は、原告に対し、レ線照射をなすについて、医師として用いるべきるべき義務をつくさなかつたということができる。

(二)  そうして、(証拠―省略)によれば、当時、宮川医師と田坂医師とは、それぞれ専攻の分野はあつたものの、診察と治療を分担していたことはなく、また、交代した時期はさだかではないけれども、原告の診療の前半は宮川医師が、その後半は田坂医師がそれぞれ担当したこと、および宮川医師は当時放射線科医長の地位にあつたことが認められるから、これらの事実に照らして、宮川および田坂の両医師の各所為は、前記過失認定の事実につき、共同過失を構成するというべきである。ただ、後半を担当した田坂医師は、照射が過大となることに、よりたやすく気付くべきであつたという意味において宮川医師の過失に比較して重いということはできる。

(三)  鑑定人(省略)の鑑定の結果中には、昭和二五年から二七年にかけて、レントゲン線の過大照射について、発癌の結果につき過失を問うことは、当時の医学界の一般的水準からいえば苛酷である旨の意見がある。しかし、医師は人命、人体を預るものである。人命、人体はもつとも貴重な法益である。両脚の切断ともなれば損害は重大である。

かかる重大な損害を惹起することが当時の医学界の一般水準からすれば、蓋然性までは有せず可能性の領域にあつたとしても医師には、その使命上高度の注意義務が要請され、重大な結果の生ずる可能性のあるかぎりこれが防止のための万全を期すべく、過失の軽重の判定は別として、過失の成否そのものについての寛容は許されないと解される。

(四)  なお、原告は(1)照射に際し遮蔽措置をとらなかつたため照射部位が足の蹠部と背部とであつたことから二重に照射を受ける皮膚部分を生じ、その個所では実際の照射線量は予定線量の倍量に及び、レントゲン障害の発生を高度ならしめた点において医師の過失ありと主張する。前記のとおり遮蔽措置を講じなかつた事実は認められるが、そのため右主張のようにして線量が倍増したとの点の立証はない。倍増しないまでも、予定線量より増加したのではないかとの推測が成り立たないわけではないが、これが、潰瘍あるいは癌の発生を促進したとの点について立証は十分でない(2)田坂医師は照射に立会せず、所属看護婦に機械を操作させて、照射上の過誤または危険防止について適切な措置をとらなかつた点において過失ありと主張する。しかし、右の所属看護婦に実施方をまかせたとの点については、原告本人尋問の結果(第一、二回)中に、右にそう供述があるけれども信用できず、前記の認定に示しとおりレントゲン技師にまかせたものと認められる。(3)原告はまた、照射継続中、皮膚科の所見をただし、あるいはその診察をまつて、レントゲン障害発生の予防についての注意をなすべきものであつたと主張する。皮膚科の診療等のなかつたことは当事者間に争いがないけれども(証拠―省略)によれば、皮膚科から照射を依頼されたものでないばあいには、放射線科医師として独自の治療をしているのが現状であつて、皮膚科における診断が放射線科のそれより優れているとは必ずしもいえないことが認められるから、皮膚科の診察を受ける等のことがなされたならば、本件のような結果の発生を未然に防止しえたであろうとはいちがいにはいえない。

したがつて、かような点からの過失についての立証はなかつたことに帰する。

(五)  原告は、田坂医師が、治療中の昭和二七年四月ごろから、明白に現われていた、レントゲン障害を看過あるいは無視して、照射を続けた結果、皮膚癌の発生を決定的なものとしたと主張する。しかし、昭和二七年ごろから明白なレントゲン障害が発生していたという点は本件全立証上明らかでないし、原告本人尋問の結果(第一回)によつても少くとも同年七月ごろのこととみられ、したがつて、原告の右主張のように認めることは証拠上無理である。

四、(結論)

以上の認定によれば、宮川および田坂の両医師の本件レ線照射治療については、共同不法行為が成立するものというべきである。

第二、損害について、

一、(積極的損害)

原告が、レントゲン潰瘍および皮膚癌治療のため、昭和三二年五月二九日から昭和三四年一二月五日までの間、数回にわたつて入院し手術その他の治療を受けた経過は、前記のとおり当事者間に争いがなく、(証拠―省略)によれば、前記治療の費用および歩行補助具代として別表(三)記載(ただし1の(イ)は一〇万八、八六八円)のとおり金員を支払つたことが認められるから原告は右の合計額金五八万一、六五二円の損害を蒙つたものと認める。

二、(得べかりし利益の喪失)

(一)  入院中の三年間について

(略証―拠省)ならびに弁論の全趣旨によれば、原告は、昭和二九年三月二四日に京都大学を卒業したが、水虫治療に努め、昭和三〇年から三一年末までレントゲン潰瘍の発生に苦しみ、これが入院治療を要するまでに悪化した昭和三二年はじめから、入院治療、発癌、両下腿切断を経て最終的に退院した昭和三四年末までの三年間は、勤労によつて収入を得ることが客観的にみて不可能であつたし、現に収入が全然得られなかつたことが認められこれを覆えすに足りる証拠はないから、原告は、右の三年間は、通常獲得しうべき収入の全額を失つたということができる。

(二)  退院後について、

そうして、(証拠―省略)によれば、原告は昭和三四年一二月五日に退院し、それまでの一連の治療をいちおう終えたものの、両下腿切断という身体的障害のため、通常人に比して、労働能力が大幅に減少しているのはもちろんのこと、就職先の発見さえ非常に困難な状況にあること。従前は水虫疾患を除いては格別な身体上の故障のない健康体であつたこと。原告は昭和二年一二月二二日生まれであるから、昭和三四年一二月末当時満三一才であり、通常満六八才以上まで生存して活動をなしうるものと推測されること。前記身体障害の程度からみると、労働力の減損度は、障害前における通常の労働力の五割以上であると想定されること。したがつて、昭和三五年以降は通常獲得しうべき収入の五割を下らない額の減損をきたすとみられること

以上の事実が認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(三)  額の認定

そうして、原告が、通常人としての勤労によつて得べかりし収入額は、(証拠―省略)の、大学卒業者たる職員の年令別平均賃金額を基準とするのを相当と認められるから昭和三二年から昭和三四までは、全額を、昭和三五年以降の分については、原告が最終的に退院して、収入減損の割合がいちおうの確定をみた昭和三四年一二月末を基準として、各月の得べかりし賃金額の五割について、各支払期(月)まで、民法所定年五分の割合による中間利息をホフマン式計算法に基いて控除した価額を合計すると、金七四七万四、九五〇円となり、右が原告の喪失した得べかりし利益として相当と看做される。

なお、被告は、額の認定に関し、原告が大学卒業後ただちに就職しなかつたのは、原告の主観的恣意によるものであるから、大学卒業後ただちに収入を得られたものとして算定すべきでないと主張するが、そのように原告の恣意を断定するに足る証拠はないし、原告においても、レントゲン障害治療のため、客観的にみて勤労不能となつた昭和三二年以降の得べかりし利益の賠償を求めているのであるから、右主張自体失当であつて、前記認定を左右するに足りない。

三、(慰藉料)

(証拠―省略)によれば、原告は大学を卒業し、社会において活動しようとした矢先に、レントゲン障害治療のため、結局、両下腿を失い、その身体障害の程度は重大であつて、日常の行動および社会的活動は大幅に制約されることとなつたし、現在特段の症状はないけれども、今後、癌の転移発生、したがつて生命の危険に対する不安を抱いて生活しなければならず、原告の、精神上、肉体上の苦痛、社会生活上の不利益は、測り知れないものであることを認めなければならない。

しかしながら、既に不法行為についての判断中において認定したとおり、本件のごとく、レントゲン障害から皮膚癌が発生すること自体、そう多いわけではなく、医師の過失を、その軽重の度合から論ずれば、昭和二五年ないし二七年当時としてみれば、軽度のものである。原告が両下腿を失つた重大な結果に対しては深い同情の念を禁じ得ないけれども、それも、発癌から生命を救うための必要処置であつたので、そもそもは、レントゲン障害が発癌に至つたという、医師の過失には違いないが、軽度の過失によつて生じた不運、患者として、その医師の過失の軽度に表裏して分担を余儀なくされた損害といえないこともなく、民法不法行為制度を貫く衡平の原則に照し、右の点を、前段に認定の、原告の蒙つた不利益に対して衡量しなければならない。またそのほかにも、(証拠―省略)によれば、原告はこれにより職を失つたわけではないから、直ちに生活に窮するという環境にはなく、大学卒業の知識人として、将来必らずしも、肉体的労働によらなくとも収入を得る道が開け得ようし、また、既に結婚しているので、妻の愛の力と自己の精神的活動によつて、人生の失意と苦悩を克服し、少くとも、人生を絶望することから脱却し得ることも期待されることなどの事情も考慮され、精神上の苦痛を測るにあたり、かような諸点において、まつたくの暗黒状態にあるばあいと同一視して、これらを考慮の外に置いてしまうこともできない。

かくて、原告の蒙つた精神上の苦痛に対する慰藉料は、その一〇〇万円の請求に対し、三〇万円を相当と認める。

第三  結論

以上からすると、原告は、宮川および田坂両医師の医療上の過失により、前記第二の一、二、三の各損害額の合計金八三五万六六〇二円の損害を蒙つたのであるから、被告は右両医師の使用者として右の損害を賠償する義務がある。

なお、原告が京大病院においてもレ線照射を受けたことは当事者間に争いがなく、(証拠―省略)によれば、原告は、さらに東一病院において照射を受ける際、右の京大病院での照射の事実を告知しなかつたことが認められるので、京大病院における照射およびその事実の不告知が相殺さるべき原告側の過失を構成するかのごとくであるが、既に認定したとおり、京大病院における照射はレントゲン障害という結果の発生に対して原因関係には立たないと認められるし、仮りに因果関係があるとしても、(証拠―省略)によれば、京大病院において、レ線照射を受けるについて、病院の聴取に対し、原告は、東一病院における過去の照射歴を隠すことなく応答していること、原告が、京大病院における照射後、このことを東一病院の医師に対して告知しなかつたのは、素人として、照射量が過大となると、本件のごとき重大な結果を招くとは、まつたく予期しなかつたからであること以上の事実が認められるから、東一病院の医師について、休療期間中他の医療機関において別個の照射を受けたか否かを問わなかつた点に過失が成立することはあつても、原告側には過失がなかつたものと認められる。

よつて、被告は、原告に対し、前記金八三五万六、六〇二円と訴状送達の日の翌日であることについては明らかに争いがない昭和三五年五月一五日から支払ずみまで、前記金員に対する民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるから、この限度で原告の請求を認容して、その余の請求を棄却することとし、仮執行の宣言は適当ではないのでこれを付さず、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八九条、第九二条を適用して、主文のとおり判決する。(裁判長裁判官立岡安正 裁判官秋元隆男 岡山宏)

別表(一)ないし(五)<省略>

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